なぜ人はミスを繰り返すのか?心理学で読み解くチェックリストの効果

- インプットポイント
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- ヒューマンエラーの心理学的背景が分かる
- 精神論ではない科学的なミス防止策が分かる
航空事故の多くは、パイロットの技術不足ではなく、小さな確認ミスの積み重ねから発生します。そこで航空業界が長年にわたって磨き上げてきたのが「チェックリスト」という仕組みです。
この単純に見える手法は、実は深い洞察と科学的根拠に基づいており、ビジネスの現場でも大きな効果を発揮します。
本記事では、パイロットのチェックリストに込められた知恵を紐解くことで、他業種業務におけるミス防止策として活用する方法を解説します。チェックリストは単なる確認項目の羅列ではありません。人間の認知特性を理解し、組織全体の安全文化を醸成するための強力なツールなのです。
第1章:なぜミスは繰り返されるのか
「次は気をつけよう」と何度決意しても、同じようなミスを繰り返してしまう。多くの人が経験するこの現象には、実は明確な理由が存在します。
ミスを防ぐためには、まず「なぜ人はミスをするのか」というメカニズムを理解することが不可欠です。本章では、ヒューマンエラーの背景にある心理学的・構造的要因を掘り下げ、精神論ではない科学的なアプローチでミス防止を考えます。
ヒューマンエラーの心理学
人間のミスは、大きく「スリップ」「ラプス」「ミステイク」の3つに分類されます。
- スリップ:正しい手順を知っているのに実行段階で誤る「うっかりミス」。コーヒーを入れようとしてコップではなく別の容器に注いでしまうような、自動化された行動での失敗がこれに当たります。
- ラプス:記憶に関するミス。「何をしようとしていたか忘れた」という状態です。
- ミステイク:判断や計画そのものが間違っているケース。
これらのミスが起こる背景には、人間の認知資源の限界があります。私たちの脳は、すべての情報を常に意識的に処理することはできません。日常的な作業は「自動モード」で処理され、意識のリソースは重要な判断に振り分けられます。しかし、この効率的なシステムが、時としてミスを生み出すのです。
記憶と注意力の限界
心理学者ジョージ・ミラーが提唱した「マジカルナンバー7±2」という概念をご存知でしょうか。人間が短期記憶で保持できる情報の数は、平均して7個程度という研究結果です。つまり、同時に10項目も20項目も意識し続けることは、人間の脳の構造上不可能なのです。
さらに、注意力は環境要因に大きく左右されます。疲労、ストレス、時間的プレッシャー、マルチタスク、これらすべてが注意力を低下させる要因となります。重要な会議の直前に別の緊急対応に追われていたとき、会議で重要な確認を忘れてしまった経験はないでしょうか。これは注意力の弱さではなく、認知資源が枯渇した結果なのです。
また、人間には「確証バイアス」という認知の癖があります。一度「問題ない」と判断すると、その後の確認作業が形骸化し、実際には問題があっても見逃してしまう傾向があります。経験豊富なベテランほど、この罠に陥りやすいという研究結果もあります。
組織におけるミスの連鎖構造
個人のミスも深刻ですが、より重大な問題を引き起こすのが「組織的なミスの連鎖」です。スイスチーズモデルという有名な理論があります。これは、組織には複数の防御層があり、各層には穴(脆弱性)が存在するものの、通常はどこかの層で問題が食い止められるという考え方です。しかし、複数の層の穴が偶然一直線に並んだとき、重大な事故が発生します。
組織でミスが連鎖する典型的なパターンは、「誰かがやっているだろう」という思い込みです。前工程で確認されているはず、後工程でチェックされるはず、という相互依存が、実は誰も確認していない状況を生み出します。また、「報告しにくい文化」も大きな問題です。小さなミスを報告すると叱責される組織では、問題が隠蔽され、取り返しのつかない事態に発展するリスクが高まります。
さらに、成功体験の蓄積が逆にリスクを高めることもあります。「これまで問題なかったから大丈夫」という正常性バイアスが、確認作業の省略を正当化してしまうのです。航空業界が最も警戒するのが、まさにこの「慣れによる油断」なのです。
このように、ミスは個人の能力や意識の問題ではなく、人間の認知特性や組織構造に起因する構造的な問題です。だからこそ、精神論ではなく、システマティックな対策が必要になります。次章では、この課題に対する航空業界の答えである「チェックリスト」の本質を探ります。
第2章:航空業界に学ぶチェックリストの本質
航空業界のチェックリストは、単なる確認項目の羅列ではありません。何十年もの事故分析と改善の積み重ねによって洗練された、科学的根拠に基づく安全管理システムです。
本章では、チェックリストがどのように生まれ、どのように運用されているのか、そしてなぜそれほど効果的なのかを詳しく見ていきます。パイロットたちが命を預けるこの仕組みには、あらゆる業務に応用できる普遍的な原則が込められています。
チェックリストが生まれた歴史的背景
現代の航空チェックリストの起源は、1935年のボーイングModel 299(後のB-17爆撃機)の墜落事故にあります。当時最新鋭だったこの航空機は、あまりに複雑すぎて、経験豊富なテストパイロットでさえ操縦手順を記憶しきれませんでした。事故調査の結果、技術的な不具合ではなく「昇降舵のロック解除忘れ」という単純なミスが原因と判明しました。
この悲劇を受けて、パイロットたちは革新的な解決策を考案しました。それが「チェックリスト」です。飛行の各フェーズ(離陸前、離陸、巡航、着陸等)において、確認すべき項目を明文化し、確実に実行する仕組みを作ったのです。この取り組みは大成功を収め、Model 299は後に第二次世界大戦で活躍する名機となりました。
以降、航空業界はあらゆる事故から学び、チェックリストを進化させてきました。1977年のテネリフェ空港事故では、コミュニケーションエラーが重大な要因となり、その教訓から「読み上げ・復唱」の手順が標準化されました。チェックリストは、人類が高度に複雑化した技術と向き合うために編み出した知恵の結晶なのです。
パイロットのチェックリスト運用の実際
実際のコックピットでは、チェックリストはどのように使われているのでしょうか。重要なポイントは、チェックリストを「記憶の代わり」ではなく「記憶の確認ツール」として位置づけていることです。パイロットは操縦手順をすべて熟知しています。しかし、それでもチェックリストで確認するのです。
典型的な運用方法は「チャレンジ&レスポンス」と呼ばれます。機長が項目を読み上げ、副操縦士が実際の状態を確認して応答する形式です。たとえば、「フラップ」と機長が読み上げると、副操縦士は計器を確認して「フラップ15、セット」と応答します。この相互確認により、一人のミスを別の人が補完できる仕組みになっています。
また、チェックリストには「必ず実施するタイミング」が厳密に定められています。エンジン始動前、タキシング開始前、離陸前など、各フェーズの境界で必ず実施することで、確認漏れを防いでいます。さらに、緊急時用のチェックリストも用意されており、パニック状態でも冷静な判断ができるよう設計されています。
重要なのは、チェックリストが「強制力」を持っていることです。どんなベテランパイロットでも、どんなに急いでいても、チェックリストを飛ばすことは許されません。これは規則であり、組織文化として徹底されています。
「読み上げ・指差し確認」の科学的効果
日本の鉄道業界で発展した「指差喚呼(しさかんこ)」は、今や世界中の安全管理分野で注目されています。「出発信号、よし!」と声に出しながら指を差す動作は、一見大げさに見えますが、実は驚くべき効果があります。
鉄道総合技術研究所の研究によれば、指差し確認を行うことでエラー率が約6分の1に減少することが実証されています。なぜこれほど効果的なのでしょうか。理由は、複数の感覚を同時に使うことで脳の処理が深くなるからです。目で見る(視覚)、指を差す(運動)、声に出す(聴覚)という3つの行動を組み合わせることで、単に見るだけの場合よりも遥かに高い注意レベルが維持されます。
航空業界でも、計器を確認する際には指で指し示しながら読み上げる手法が広く採用されています。特に重要項目(致命的に重要な項目)については、必ず身体動作を伴った確認が求められます。これは、自動化された認知処理を「意識的な処理」に切り替える効果があるのです。 さらに、声に出すことには別の効果もあります。他のクルーに自分の行動を知らせることで、相互監視が機能し、万が一のミスを他者が気づく可能性が高まります。航空の世界では、これを「クロスチェック」と呼び、安全文化の基盤としています。
重要項目との向き合い方
すべての確認項目が同じ重要度ではありません。航空業界では、「失敗すると致命的な結果をもたらす項目」を重要項目として特別に扱います。たとえば、離陸前の燃料確認、エンジンの異常チェック、着陸装置の展開確認などです。
重要項目に対しては、通常の確認に加えて「別の人による再確認」が求められます。つまり、最初の確認者とは別の人が、別のタイミングで再度確認するのです。これは「二重チェック」の考え方で、一人がミスをしても、もう一人が気づける仕組みを作っています。一箇所だけに頼ると、そこが間違えたときに取り返しがつきません。だからこそ、複数のチェックポイントを設けるのです。
また、重要項目は記憶に頼らず、必ず文書化されたチェックリストを参照することが義務付けられています。どれほど経験を積んだパイロットでも例外はありません。なぜなら、人間の記憶は状況によって変動するからです。疲労、ストレス、緊急事態、こうした状況下では記憶の信頼性が大きく低下します。
ビジネスの現場でも、すべての業務が同じ重要度ではありません。「このミスは取り返しがつかない」という項目を明確にし、それに対して特別な確認プロセスを設けることが、効果的なミス防止につながります。
次章では、このような考え方を踏まえ、実務で使えるチェックリストをどう作るかを具体的に解説します。
第3章:効果的なチェックリストの作り方
航空業界のチェックリストの原則を理解したところで、いよいよ実務に応用する段階です。しかし、単に確認項目を並べただけでは効果的なチェックリストにはなりません。
本章では、実際に機能するチェックリストを設計するための具体的な方法論を解説します。項目の選び方、優先順位のつけ方、運用ルールの設定まで、実践的なノウハウをお伝えします。
チェックリスト設計の5つの原則
効果的なチェックリストには、5つの重要な設計原則があります。
- 第1原則:「シンプルさ」
チェックリストは短く、明確でなければなりません。項目が多すぎると、確認作業自体が負担となり、形骸化してしまいます。理想的な項目数は5~9個程度です。これは第1章で触れた「マジカルナンバー7±2」に基づいています。もし項目が多い場合は、フェーズごとに分割することを検討してください。
- 第2原則:「具体性」
曖昧な表現は避け、誰が読んでも同じ解釈ができる言葉を使います。「確認する」ではなく「○○が××であることを目視で確認する」、「適切に設定する」ではなく「△△を□□に設定する」といった具合です。抽象的な表現は、解釈の余地を生み、ミスの温床となります。
- 第3原則:「実行可能性」
理想論を並べても、現場で実行できなければ意味がありません。時間的制約、物理的制約、スキルレベルを考慮し、現実的に実行できる内容にする必要があります。特に、確認に要する時間は重要です。業務フローを大きく阻害するチェックリストは、やがて無視されるようになります。
- 第4原則:「タイミングの明確化」
「いつ確認するか」が曖昧だと、確認漏れが発生します。「業務開始時」「工程完了時」「提出前」など、具体的なタイミングを明記してください。航空業界では、フェーズの切り替わりという明確な境界でチェックリストを実施します。これをビジネスに応用するなら、会議前、納品前といった区切りが該当します。
- 第5原則:「継続的改善」
完璧なチェックリストは最初から作れません。運用しながら、実際に発生したミスやヒヤリハット事例を元に、定期的に見直すことが不可欠です。また、業務プロセスが変わればチェックリストも更新する必要があります。古いチェックリストは、逆に混乱を招く原因となります。
項目選定と優先順位付けの方法
チェックリストに何を含めるかは、最も重要な判断です。すべてを網羅しようとすると膨大な項目数になり、実用性を失います。効果的な項目選定には、明確な基準が必要です。
まず、過去のミス事例を徹底的に分析する必要があります。実際に発生したミス、ヒヤリハットした事例、顧客からクレームがあった事例など、すべてリストアップします。その中で、「頻度が高いもの」と「影響が大きいもの」を特定します。この2軸のマトリクスで整理すると、優先順位が見えてきます。
特に注目すべきは、第2章で解説した重要項目、つまり「失敗すると致命的な結果をもたらす項目」です。これらは頻度が低くても、必ずチェックリストに含めるべきです。たとえば、契約書の署名欄確認、個人情報の削除確認等です。一度のミスが取り返しのつかない損失につながる項目は、最優先で盛り込みます。
次に、「記憶に頼りがちな項目」も重要です。誰もが知っている作業だからこそ、かえって確認を忘れがちな項目があります。メールの宛先確認、添付ファイルの確認などです。「当たり前すぎる」作業が、実は多くのミスを生んでいます。
一方、チェックリストに含めるべきでない項目もあります。それは「判断を要する項目」です。チェックリストは「Yes/No」で答えられる確認事項に限定すべきです。複雑な判断が必要な項目は、別途マニュアルやガイドラインで扱うべきです。また、「毎回状況が変わる項目」も不向きです。チェックリストは標準化された手順に対して効果を発揮します。
実効性を高める運用ルール
どんなに優れたチェックリストも、正しく運用されなければ意味がありません。実効性を高めるためには、明確な運用ルールの設定が不可欠です。
- 「誰が確認するか」を明確にすること:曖昧な責任分担は、「誰かがやるだろう」という思い込みを生み、確認漏れにつながります。
- 「どのように記録するか」を決めること:チェックリストは実施したという証拠、履歴を残すべきです。これは責任の所在を明確にするだけでなく、問題発生時のトレーサビリティを確保する意味もあります。
- 「例外処理のルール」を決めること:時間がない、担当者が不在など、標準手順が取れない状況は必ず発生します。その際の代替手順やエスカレーションルールを事前に定めておくことで、「今回だけは省略しよう」という危険な判断を防ぎます。航空業界では、緊急時でもチェックリストを省略せず、緊急時用の短縮版チェックリストを使います。
- 「確認結果の共有方法」を決めること:チェックリストで問題が発見された場合、誰に報告するのか、どう対処するのか、これらが不明確だと、問題が放置される危険があります。特に、ミスを発見した人が報告しやすい環境づくりは、組織全体の安全文化に直結します。
陥りがちな失敗パターンと対策
チェックリストの導入でよくある失敗パターンを知っておくことは、成功への近道です。
- 「項目の過剰」:完璧を目指すあまり、何十項目もの膨大なチェックリストを作ってしまうケースです。これでは確認作業が負担となり、やがて形骸化します。対策は、先述の通り項目を絞り込むこと、そしてフェーズごとに分割することです。項目過剰による失敗が最も多いです。
- 「形式化・儀式化」:チェックリストを実施すること自体が目的となり、本来の「ミス防止」という目的を見失うパターンです。毎回同じ項目に機械的にチェックを入れるだけで、実際には確認していない状態です。対策は、定期的にチェックリストの有効性を検証すること、そして実際のミス事例があった場合は、なぜチェックリストで防げなかったのかを分析することです。
- 「現場との乖離」:実務を知らない管理部門が机上で作ったチェックリストは、現場で機能しないことが多々あります。対策は、チェックリストの作成に現場担当者を必ず参加させること、そして試験運用期間を設けてフィードバックを集めることです。
- 「更新の停滞」:業務プロセスは変わるのに、チェックリストが古いままだと、逆に混乱を招きます。定期的な見直しのタイミング(四半期ごと、年度ごとなど)を設定し、担当者を明確にしておくことが重要です。
- 「万能視」:チェックリストはミスを減らす強力なツールですが、すべてのミスを防げるわけではありません。複雑な判断、創造的な問題解決、予測できない状況への対応など、チェックリストだけでは対処できない領域があることを理解しておくべきです。チェックリストは、標準化された手順における確実性を高めるためのツールです。それ以外の部分は、教育、トレーニング、組織文化など、別のアプローチが必要になります。
このように、チェックリストの設計と運用には、多くの考慮すべき点があります。しかし、これらの原則を押さえれば、確実にミスを減らせる強力なツールとなります。
終章:まとめ
パイロットのチェックリストから学べることは、単なる確認手法ではありません。それは、人間の認知特性を理解し、ミスを構造的に防ぐ仕組みであり、組織全体に安全文化を醸成するためのツールです。本記事で解説した通り、チェックリストの本質は「人間は完璧ではない」という前提に立ち、システムで補完する考え方にあります。
重要なのは、精神論ではなく科学的なアプローチでミスに向き合うことです。
ミスを防ぐ仕組みを作ることにより、個人の責任追及から組織的な改善へと視点を転換できます。チェックリストは、失敗を個人の問題として片付けるのではなく、「なぜこのミスが起きたのか」「システムとしてどう防げるか」を考える文化を育てることに役立ちます。
参考書籍:
アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】

発売日 : 2011/6/18
著者:アトゥール ガワンデ (著), 吉田 竜 (翻訳)

- マガジン編集部
- この記事はマガジン編集部が執筆・編集しました。
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